何があろうが生きていける確信のおおもと
あたしね、43歳の時「開業するぞ!!」って意気込んで、娘を宮崎に置いて尼崎に戻ってき、実家に居候してたんです。
娘が看護学校卒業するまで、仕送りせなあかんから、朝はコンビニ・昼はうどん屋・夜はお好み焼き屋でバイトしてたんです。
で、3つのバイト代を合わせたら14万になりました。
そのうち13万を娘に送り、1万は光熱費で親父に渡す。
朝はコンビニで廃棄物を食い漁り、昼はうどん屋で賄いのうどんを食べ、夜はお好み焼きを毎日食べ続け・・・
そうです、実家でただ飯が食べれないので、食い物にあるつけるバイトを3つして3食まかなっていたんです。
すごい理にかなっていますね~~~~
あたしには、絶対に人間どうにかして生きていけるって確信があっから、2年間仕送りをし続けながら食いつなげたんです。
今日は「人間どうにかして生きていける」って確信を得た事件の話をしましょう。
あたしは宮﨑にいた時、温泉宿からサティに転職をしました。
温泉宿で働いていると、深夜とか、夕食時とか、オール仕事になってしまうんです。
すると、息子小学3年生娘小学1年生が毎日2人っきりで、家でご飯を食べる事になっちゃって・・
それは、まずいよなと考えて、昼の仕事に転職したんです。
昼と言っても、サティで12時―20時の定時勤務で、20時のあと清算業務があるから、家に帰り着くのは21時です。
だから転職した時に「うちの晩御飯は21時」と決めて、必ず3人で21時に夕食を一緒に食べるようにしました。
21時までは、子供たちは毎日スナックパンで食いつないでました。
それでね、間を開けずに転職したら、ふつーー前職の月給が次の月に入るから、次の月はそれで食べていけますやん。
でも、あろうことか温泉宿の給料は先払いだったんです!!!
やばい(汗)サティの給料が入るまできっかり1か月無給じゃん。
もちろん貯金はゼロ円。
宮﨑にはびんぼーサーファーの友達しかいません。
やばい、やばい・・・
そんとき、いったいどうしたと思いますか?
じつはね、まさに無給になるその月に、政府から地域振興券なるものが、全国民に給付されたんです!!!
それがね、母子家庭には一人15000円分出たんですよ!!!
なんと!3人で45000円です!!!
1000円の地域振興券が45枚あたしの家に送られてきたんです。
あたしは、お金が尽きたその日から毎日1000円の地域振興券をにぎって、サティでお買い物をして帰りました。
そして、チケットがなくなったときにサティの初給料が入ったんですよ。
そんときにね、あたしは確信したんです。
あたしは、何があっても絶対に大丈夫な星の下に生まれてるんだって。
心の底から、確信したんです。
よく聞いて欲しいんやけど、大切なことはね、「たまたまラッキーだった」で済まさずに起こった出来事に意味をつけてそれを「確信すること」なんです。
確信して腑に落とす。
腹に落とし込むんですよ。
絶対に大丈夫。
それでね、腹に落ちていると、リスクが怖くなくなるんですよー。
こんなあたしは今、エンドリングフェイシャルを広めています。
エンドリングフェイシャル体験会は、「パッションYUMI☆に会いたい」でけでも参加可能です(笑)